『車のまち』豊田市で旅館の娘に生まれ育ち59年。時代の移り変わりとともに、家内制旅館からちょっとした会社組織のビジネスホテルへと形態も変わりました。会社を取り巻く様々な人々や事柄に支えられ、今日があります。そんな毎日を素直に綴ります。
2010年5月31日月曜日
世界禁煙デーと清掃奉仕
車の町に車のない日 ふれ愛フェスタ
2010年5月29日土曜日
フリマの手づくり品
2010年5月23日日曜日
豊田厚生病院の病院祭
平成20年1月に現在の場所に転院、名称も加茂病院から豊田厚生病院に変更されました。ホテルからは、加茂病院の方が近く、徒歩10分くらいの場所にありました。現在の病院は車で15分くらいです。この病院祭は新しい病院を利用者に知ってもらおうという企画のようです。開院する前も、プレオープンで希望者に内覧会も行っていました。開かれた病院ですね。
イベント大好きで、観てみた~いと思いながら、退院する家族を早く帰宅させねばと、横目でちらちら見ていました。救急車やパトカーといった緊急車両の見学や撮影会、院内探索kツアー、模擬店、新病院が完成するまでの展示、ロビーコンサートなど、普段体験できない内容から病院の隠れた話題まで、盛りだくさん。AEDの体験コーナーがあり、この機会に模擬訓練をしておきたかったですね。来年はゼッタイに参加しよっと、って思ってます。
これは、認知症チェックです。
何かとお世話になる病院です。誰が病気になっても、ドキドキ、心配しながら行く場所ですが、今日は、主催者も参加した人も楽しそうでした。家族が術後入ったHCU病棟の看護士さんがAEDのコーナーにみえました。忙しいお仕事の合間を縫って、来訪者に笑顔で接していらっしゃいました。
病院のいつもと違う顔を見て、さらに身近に感じることができました。
2010年5月20日木曜日
出産お祝いの短歌(うた)
ちょっと、ピンボケですが・・・ 来嶋靖生の短歌です。
「後ずさり するの見なりし 幼な子の この朝をふと 前に匍いいづ」
この短歌を大学時代の友人から教えてもらいました。以前、年が変わるたびに手帳に書き留めていましたが、ある年に書き写すのを忘れたらしく、見当たりませんでした。図書館やネットで調べてみましたが、わかりません。かすかな記憶をたどり、書いて贈りました。
この短歌は、はいはいをする子供の様子を実によく表現していると思います。はいはいをしだす子供は、腕の力がなく、四つん這いになっても前に進まずに、何故か後ろにさがっていってしまうんですよね。寝返りも、はいはいも、おすわりも、昨日できなかったことが、翌日になると急にできていたりすのです。何の前触れもない、子供の発育に驚かされる様子が、短い歌にぎゅっと凝縮されていると思います。
いい短歌(うた)です。
2010年5月17日月曜日
高山散策でまちづくりを学ぶ
2010年5月16日日曜日
島野 修さんのこと
「あ、この人の特集なんだ」と思い、しばらく観入っていました。その人は、島野修さんと言う方でした。島野さんは、当時の阪急ブレーブスのマスコットの着ぐるみ ブレービーで、ファンを湧かせていました。当時、阪急フレーブスが生んでブレービーは、元祖球団のマスコットだそうです。
島野さんは高校時代は甲子園球児で、好成績を残されており、ドラフトでジャイアンツの一位指名で入団されていました。同時期には、指名により入団したドラゴンズの星野仙一さんやタイガースの田淵幸一さんがいます。プロになってからは、勝ち星に恵まれず、その後は当時の阪急ブレーブス(現在はオリックス・ブレーブス)に移籍、1978年、29歳で引退されたそうです。
2年後、阪急ブレーブスより、球団のマスコット ブレービーのマスコット人形役のオファーが来たそうです。宴席で盛り上げる持ち前の明るさを買われ、アメリカのサンディエゴ・パドレスのマスコット人形の影響を受け、引き受けたそうです。
マスコット役としての仕事は、夢を与える役割の裏に、人形の加重や蒸し暑さで、腰を痛めたり、汗疹ができたり、並大抵ではできないことだったと言われていました。ブレービーの重さは、8、5キロもあったのでそうです。悩みはそれだけではなっかったようです。
あのジャイアンツのドラフト指名一位の投手が、着ぐるみを着て道化師のようになってる姿を揶揄する人もいたそうです。
「選手のプライドを捨てたのか」 と。
島野さんは、大変心を痛められたそうです。悩まれました。辞めようかとまで考えたそうです。
そんなとき救われたのが、ひとりの子供の声だったそうです。悩みながら、お酒を飲んでいたところ、となりの席に座ったお子さんが、こう言われたそうです。
「明日もブレービーを観にいこうね。」
再び、続ける決心をし、18年間、1175試合に登場されたそうです。
「着ぐるみの中では、顔をわからないけれど、いつも笑顔で接しています。それじゃないと、みんなを楽しませることができないjから」
と言われていました。これこそ、まさに仕事に対する熱意とプライドです。選手生活からは引退しても、一生野球を愛する気持ちに変わりはありません。素晴らしい人生だったなと感じます。
脚光を浴びることのない縁の下の力持ちは、その存在がなくなり初めてその人の偉大がわかると思います。
島野さんは、5月8日、病気で他界されました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
2010年5月13日木曜日
「くれよんのくろくん」
お話は、色とりどりのくれよんたちが、自分の色を上手にアピールしながら、画用紙いっぱいに、花、草木、蝶、空などを描いていきます。そんな中、くろくんが仲間に入れてほしいと申し出ます。ところが、色とりどりのくれよんたちは、仲間はずれをします。そのうち、だんだん自分の主張が強くなり、くれよんたちは喧嘩をはじめてしまい、何が描いたあるのかわからなくなってしまいました。それをみていた、シャープペンくんが、くろくんに耳打ちします。
くろくんは、みんなが描いた絵を塗りつぶします。絵は真っ黒です。他のくれよんたちは、くろくんを攻めます。黒く塗りつぶしたあと、しゃーぷぺんくんが登場、画用紙の上をすいすい走ります。 できた絵は・・・。(答えは絵本を読んでみてくださいね♪ ) くれよんたちは、くろくんを仲間はずれにしたころを謝り、みんな仲良くなりました。
こういう描き方を小学生のころにやったことがありました。当時は、シャープペンなんておしゃれなものがなく、釘の細いのを使ってやりました。懐かしいですね。
この絵本には、「みんな仲良く」 という道徳的な教えもあります。 絵本から、「決まりを守ろう」とか「素直になろう」など、人間性を改めて学ぶことがあります。大人になると、わかっていることをどうして守らなくなってしまうのでしょうか。私もそのうちのひとりです ^^;
2010年5月9日日曜日
Present for You!
「そう言えば・・・」と母、部屋に行き、ごそごそ・・・