2010年5月16日日曜日

島野 修さんのこと

今朝あるテレビ番組で、プロ野球のマスコットの映像に遭遇しました。ちょっとミーハーですが、私はドアラが好きです。マスコットシリーズなのかと思っていたのですが、画面の右上に人物画像があり、そこにある人の名前がありました。
「あ、この人の特集なんだ」と思い、しばらく観入っていました。その人は、島野修さんと言う方でした。島野さんは、当時の阪急ブレーブスのマスコットの着ぐるみ ブレービーで、ファンを湧かせていました。当時、阪急フレーブスが生んでブレービーは、元祖球団のマスコットだそうです。

島野さんは高校時代は甲子園球児で、好成績を残されており、ドラフトでジャイアンツの一位指名で入団されていました。同時期には、指名により入団したドラゴンズの星野仙一さんやタイガースの田淵幸一さんがいます。プロになってからは、勝ち星に恵まれず、その後は当時の阪急ブレーブス(現在はオリックス・ブレーブス)に移籍、1978年、29歳で引退されたそうです。

2年後、阪急ブレーブスより、球団のマスコット ブレービーのマスコット人形役のオファーが来たそうです。宴席で盛り上げる持ち前の明るさを買われ、アメリカのサンディエゴ・パドレスのマスコット人形の影響を受け、引き受けたそうです。

マスコット役としての仕事は、夢を与える役割の裏に、人形の加重や蒸し暑さで、腰を痛めたり、汗疹ができたり、並大抵ではできないことだったと言われていました。ブレービーの重さは、8、5キロもあったのでそうです。悩みはそれだけではなっかったようです。

あのジャイアンツのドラフト指名一位の投手が、着ぐるみを着て道化師のようになってる姿を揶揄する人もいたそうです。
「選手のプライドを捨てたのか」 と。
島野さんは、大変心を痛められたそうです。悩まれました。辞めようかとまで考えたそうです。

そんなとき救われたのが、ひとりの子供の声だったそうです。悩みながら、お酒を飲んでいたところ、となりの席に座ったお子さんが、こう言われたそうです。
「明日もブレービーを観にいこうね。」
再び、続ける決心をし、18年間、1175試合に登場されたそうです。

「着ぐるみの中では、顔をわからないけれど、いつも笑顔で接しています。それじゃないと、みんなを楽しませることができないjから」
と言われていました。これこそ、まさに仕事に対する熱意とプライドです。選手生活からは引退しても、一生野球を愛する気持ちに変わりはありません。素晴らしい人生だったなと感じます。

脚光を浴びることのない縁の下の力持ちは、その存在がなくなり初めてその人の偉大がわかると思います。

島野さんは、5月8日、病気で他界されました。
ご冥福をお祈り申し上げます。

2 件のコメント:

さち姉 さんのコメント...

偶然にも 私も見ておりました。

いいお話でしたね。

ファンに喜んでもらおう精神は自分にも
お客様によろこんで頂く精神と同じです
すごい思いをなさってまで 頑張られた島野さんに
心よりお疲れ様と言わせて頂きたいです。

若くしてお亡くなりになられたこと、心より
惜しく ご冥福をお祈り申し上げます。

稲熊真佐子 さんのコメント...

さち姉さん

あの番組をご覧になったのですね。
本当にいいお話でした。

マスコットを観るたびに、どんな人が中に入っているんだろうと思っていました。
野球が大好きな人が入っていてくれ、ファンも喜んでいたことでしょうね。
あのサービス精神は、サービス業を担う私たちこそ学ぶべきだと感じました。

他界され、本当に残念ですね。
改めて、心よりご冥福をお祈り申し上げます。