2013年12月30日月曜日

新春の俳句を詠む

地元商店の女性経営者で構成されている とよた下町おかみさん会では、俳句を学んでいます。
きっかけは、メンバーの提案で、ある地元の恩師O先生に指導を仰ごうというものでした。
会で開催している年に一度の大イベント 七夕まつりイベントで俳句会を行うことになりました。その席上には、O先生にもご出席いただき、集まった俳句の総評や俳句ミニ講座を受け持ったいただいています。
以前から日本に伝わる高尚な文化を推進することには大賛成です。

この0先生は、私も地元の中学校2年次に国語を教えていただきました。
とても変わって授業を受けたことを思い出します。
活きた授業というか、恐らく学校では教えていただけないような内容です。
例えば、中学生に常識を覚えさせようと、常識問題を出されました。
「小説 『白鯨』の作者は?」
「東京六大学を答えなさい」
「『こま』を漢字で書きなさい」
など20問ほど出されました。
また、短歌を詠わせ、どの短歌にも○○賞と名づけ、褒め称えてくださいました。
0先生のお宅は、徒歩で10分ほどのところにあります。
お正月になると、近くの教え子が先生の家に集まり、百人一首大会をしました。
こうして、生活の中で常識や国語に触れることができ、とても良い中学生活を送りました。
何十年ぶりにお目にかかり、また俳句を教えていただけることとなり、とても嬉しく思います。
教え子のだれもが、この0先生のことが大好きです。

今回は地元紙に新春の俳句を上手下手関係なく、掲載いただけるとのことで、応募しました。
毎回、往復はがきで0先生にお送りし、添削いただいています。


こんな感じで、返信してくださいます。
俳句は、5・7・5の文字の中に、情景や自分の思いを綴りますが、必ず季語がひとつだけ折り込むことが必須です。
季語ふたつはタブーです。
これだけ守れば、とりあえずカタチになります。

 


新春の句です。
「双六(すごろく)に我が人生を見たるなり」
双六って、面白いですよね。
サイコロひとつで、進んだり、休んだり、ふりだしに戻ったり、なかなか上がれなかったりと、まるで自分の人生のような気がし、詠みました。
季語は、双六です。
文字も、決まった字数で納まりました。

これが、双六の俳句の添削返信はがきです。
大変なお褒めの言葉をいただいたのですが、私が詠んだのは、
「双六に我が人生を見たりかな」 でした。
後日、0先生よりお電話があり、ちょっと指導するとのことで、掲載された俳句となりました。
最近、詠むときに、助詞選びに非常に悩みます。
悩むのは、基本的な知識がないからですね。
適当に、昔聞いたことがあるようなものをマネしているだけで、無茶苦茶ということです。
意味の切れ目がポイントらしいです。
今は、ポイントがない、ということですね (;^ω^)
  


実は、俳句のネタ帳があり、思いついたものを書いてみたり、字余りを解消するために思いを変えずに別の言葉を探したりするために、記録に残しています。
推敲なんて格好いいものではないですが、よりよいものを作ってみようとする試みです。
 

季語を探すには、この季寄せを参考にしています。
歳時記ともいいます。
ここには、俳人の作品もあり、大変勉強になります。

「なほ口にある数の子の音楽し」 阿波野青畝

数の子の季語を見ていたら、このような俳句を見つけました。
四季折々の言葉や行事から醸し出される生活感がほっこり感じられ、微笑ましくなりますね(*^^*)

市立図書館で、マンガチックな参考書(右)を見つけ、借りてみました。
もう一冊(左)は、写真を見ながらすぐ俳句ができる、大きな文字でみやすい、とのキャッチに惹かれ、借りました。
 

ちょっと、脱線、サラリーマン川柳も借りてみました。
何度読んでも、面白いですね。
図書館に行く前に、市体育館器械体操を見ました。
ここなぞかけ、
「難度の高い器械体操とかけて、とても笑えるサラリーマン川柳ととく」
その心は、、、
「どちらもひねりが利いているでしょう」
 
俳句から川柳、なぞかけになってしまいました。
おそまつでした 
 
これからも、感性を活かそう、と思いますね♫

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