この公園は、昭和30年代には、子供の遊び場として、ブランコやすべり台、土管でできた山型の遊具があり、よく遊びました。公園内には格安の市営プールがあり、真っ黒になっても泳いでいました。池もあり、ザリガニ釣りもしました。
そんな公園でしたが、もともとこの公園の下には、五六(ごろく)川が流れていたようで、埋め立てて、その時代にマッチした公園を作ったようです。そして再び、1995年ごろ、川を甦らそうとする動きが出始め、さらに公園自体を自然の営みができる環境にと、ビオトープを都市空間の中に復元することが試みられました。公園には多様な生き物が生息するだけでなく、子供もお年寄りも年代を越え、様々な人が集い、憩い、語いの場として、生まれ変わりました。夏にはホタルも飛び交い、イベントも行われます。公園の甦りには、市民の声も反映させ、市民も参加してのビオトープとなったと聞いています。こうして、行政と市民参加で官民一体となり、世代間を越えた新しいコミュニティとして、生き物と共に成長を続けているようです。
昔の面影も残しつつ、近自然工法を取り入れ、ちごの森として甦りました。40万人都市の中心市街地内にあるとは思えないような公園です。
夕方6時くらいの様子です。一日輝いた太陽の夕日が、木漏れ日としてうっすらと差し込んでいます。コンクリートの建物がみえるでしょうか。公園から少しあるけば、都市空間が広がっています。
薮欄(やぶらん)です。開花は、7月下旬から10月の末頃まで日陰に咲く花です。ちなみに、10月26日の花で、花言葉は「謙遜」だそうです。
薮欄(やぶらん)です。開花は、7月下旬から10月の末頃まで日陰に咲く花です。ちなみに、10月26日の花で、花言葉は「謙遜」だそうです。
残念ながら、画像はないのですが、公園には児ノ口神社があります。弁財天が祀ってあるようですが、なぜそこに水の神様がいらっしゃるのでしょうか。
この神社の一角には、「衣之君落別王命陵」と書かれた碑があります。ネットで調べてみましたら、落別王とは、「古事記」登場するらしいです。そんなに古いものと関わりがあるのだと知り、驚いています。公園内のこんもりした場所に社があるのですが、以前、古墳の上に神社があると聞いたことがあります。
名前から、子供を表す「児」という文字が使われていることから、子供と関わり合いのある公園だと、思っていました。
「古事記」と児ノ口の名称と何か関連があるのでしょうか。興味がわいてきました。
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