2018年2月13日火曜日

故人を偲び、法要を考える

昨日は、私の祖母、はまの四十三回忌法要でした。
今回は、ご院住さんと家族のみで執り行いました。
祖母が他界したのは、高校3年生の大学受験のさ中、本命と滑り止めを受験する間のできごとでした。
病気のわけではなく、老衰で寒い冬が乗り切れなかったようです。
屋内は温かくても、高齢者にとっては外気温が急に下がると、堪えるらしいです。
学校を午前中で終え、帰宅すると、伯母が来ていました。
亡くなる朝から昏睡状態となっていたため、両親が呼び寄せたのです。
午後2時、父は仕事、母は旅館の買い物をしている間に、伯母と私に看取られ、向こう側へ行ってしまいました。
当時、同級生のお父様が内科医で、定期的に往診に来てくださっていたので、すぐ来ていただきました。


お恥ずかしいことに、仏壇花をお正月から1度しか変えておらず、謝りながら、変えました。
親戚を呼ばないことで、気が抜け、お供えを買うことをすっかり忘れていました。(汗)
ご院住さんに、位牌や線香立てなどの位置、仏具の意味も教えていただきました。
内敷の掛け方も、母から教わってはいましたが、手直しがありました。
まだまだ、知らないことが多いです。

宗派は、真宗大谷派で、親鸞聖人の教えに基づいた極めて庶民的な宗派です。
ご院住さんによると、人の死は穢れたものではなく浄化した考えの下、死後すぐに極楽浄土へ送るのだそうで、葬儀の際の会葬お礼には、清めのお塩はないということだそうです。
生まれた家の宗派を少しずつ、ことあるごとに触れるようにし、お寺でのおつとめには出席し、講和を拝聴するようにしています。

法要後、ご院住さんと共にお昼の会食をし、先代のご院住さんや我が家の故人の話に花が咲きました。
今や、インターネットでお坊さんの手配や戒名をつけるご時世で、便利なようで不便やトラブルなどの伺いました。

以前から、どうしてもひっかかることがあり、ご院住さんに尋ねてみました。
「人が亡くなるときは、息を吸ってなくなると聞きました。
 死ぬことを息を引きとる、というからだそうです。
 でも、祖母の時は、昏睡していた目を急に見開き、天井を見据え、目を閉じ、その後、 
 口から泡を吹いたのが最期です。
 泡を吹くのに、息を吸っているのでしょうか。」
ご院住さんはこのように言われました。
「そうでしたか。
 私が聞いているのは、この世や家族の煩わしさを、死んでいく自分が全部背負いましょ 
 う、引き受けましょう、というような意味だとかです。」
このお話を聴くと、吸って亡くなろうが、吐いて亡くなろうが、どちらでもいいかなと思えてきました。
ご院住さんのお話は、いつも深みがあります。



法要の時は、いつも、故人から引き継いだものを、今にいる自分たちが生き活かされていかなければと思います。
出席する方々の思いや考えなど伺え、思い出話から、法要でしか知ることのできない秘話なども聴くことができ、生きていく糧を得られるなと思います。


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