まっすぐ帰るのはつまらないと思い、ちょっと寄り道を、、、
名鉄上挙母(うわごろも)から、金谷町、樹木町を通り、我が家へ行くことにしました。
金谷庚申というお寺です。
金谷町にあるので、そのように呼ぶのでしょうね。
庚申信仰があるようです。
名前から、十干十二支の組み合わせで、その年やその日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされたらしいです。(ウィキペディアより)
たまたま、自動車のお祓いが終わり、お見送りされたところで、ご住職がお声をかけられたので、ちょっと立ち話をしました。
小学校の時、お習字で「庚申さま」と書き、貼りだされた記憶がある、とお伝えしましたら、喜んでいらっしゃいました。
この単線は、地元私鉄、名鉄三河線です。
先へ進むと、中心地の豊田市駅へ到着します。
平成の大合併で42万人都市になりましたが、未だ単線です。
複線化の話もあったようですが、鉄道網の発達で地元の自動車産業を刺激してはならないと、産業界との話し合いで単線のまま、という都市伝説チックなお話があります。
三河線を渡り、ちょっとした公園に二宮金次郎の像があります。
昭和の時代、大方の小学校にはありました。
よく学び、よく働く象徴として、見習うようにと教えられました。
本を読みながら歩くと電信柱にぶつかると言われていましたが、今は電信柱も地中化され、本の代わりにスマホになった気がします(笑)
合計3年ほど、東京都や旧愛知県祖父江町で暮らした以外は、豊田市で生まれ育ちましたが、金谷城があったことを知りませんでした。大昔に聞いたことはあったかな~
ここに、藩校、崇化館(そうかかん)があったようです。
実は、私の出身中学は、豊田市立崇書化館中学校です。
学校の場所は、跡地から北へ約3km行ったことろに現在もあります。
藩校の流れを組むと学校で習ったことはあります。
由緒ある名前の学校でしたが、怠け者で、部活(器械体操部)だけをやりに通学していました(笑)
ふと見上げれば、城下町と書かれた風情ある街路灯がありました。
たまにはのんびり、名所旧跡巡りもいいですね (*^-^*)
三味と踊りはできませんが、下町育ちの私には、城下町は憧れですね。
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